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よもやま話
徒然なるままに・・・
           
  • あってもなくてもいい存在なんてない。気張らず自己ベストを目指す。そうすれば、たとえマイナスとしか思えないことでも、神様が変えてくださる気がします。



  • 私達はすぐ他人と比べたがりますが、それから解放されて、”オンリーワン”な存在を目指して頑張れば、おのずと道は開けてくるのではないでしょうか。



  • 私は一生、盲目と付き合います。この世の情報の90%は視覚からのものですが、私は絶望しません。歌とピアノで、卑屈にならず、生きた証しをしていくのです。



  • 時計は人生そのものですね。時間はどの人にも平等に与えられる。それを自分でしっかり受け止めて活かすことです。



  • 一人一人の心が平和でありたい。どんな戦いでも悲しい傷跡を残すのが戦争です。


  • 音楽は、複雑で捕らえようのない人の心と魂の深層に直接働きかけ、それを揺り動かし、人生観さえ一変させてしまう力と可能性を秘めているのです。 



  • 外見は違っても、一人一人の価値は全く一緒で、その価値は尊く掛け替えのないものなのです。

             
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2009年11月7日(土)、「世界食料デー」の働きのために、日本国際飢餓対策機構への寄付を目的とした第5回チャリティーコンサートが開かれ、第一部のコンサートで演奏させていただきました。第二部では、元エチオピア駐在スタッフの方のお話と、子ども達の歌が演奏され、穏やかな秋の夕方、世界中の飢餓に苦しむ人々への援助や、共に生きることを考える良きひと時となりました。

2007年6月、大阪のビッグ・アイ国際障がい者交流センターでコンサートをした後、宿泊。バリアフリー施設で種々の障害に対応しているのはいいのですが、やはり全てを網羅するのは大変ですね。和室に入ってずっとフラットな床がつづいていたため、畳の上まで土足で上がってしまいました(笑)。車椅子に配慮して道路の段差を無くすと、単独歩行をする際の視覚障がい者にとっては逆にチェックポイントを無くして歩きにくくなってしまうことになります。全てに配慮したバリアフリー対策は難しい点がありますね。

2007年7月、群馬県上野村にある「慰霊の園」に行って来ました。「心の瞳」をリリースして、早く行かなければと思いつつなかなか行けなかったのですが、やっと念願叶いました。鶯と蝉が鳴いている山の中にひっそりと佇み、20年余の歳月を噛みしめてきました。

心に響くメッセージ

北田康広の写真 オンリーワンの命を大切に

悲しいとき、つらいとき私は思いました。 せめて1分だけでいい。私に視力を頂けるとしたら、 夜空に輝く満天の星を仰いでみたい・・・・と。 それは叶わない夢でした・・・。 それでも私は絶望しません。
世界でたったひとりの私、かけがえのない私という命!
自分にしかできないベストを尽くす。 そうすれば、道は必ず開けてきます。 私もあなたもこの世にたった一人しかいない存在なのです。
障がいがあっても、どんなに苦しくても、自分のかわりはいないのだ・・・。 そう、わたしはいつも自分に言い聞かせています。

その人にしかできない、自己ベストを尽くし、自分らしく生きていくのが大切。人を羨むだけでは、持っているものさえ小さく萎んでしまいます。自分の輝きを大切にしようとしたとき、希望が見えてくるのです。

自分にしかできないことがある。自分にしか演じられない人生がある。だから皆も自分らしく生きてほしい。

人の一生ははかないけれど、与えられたものを最大限に用いて命を弾(はず)ませることが大切ではないかと思うんですね。

視覚障がいというのは、回り道になったけれども、音の奥行きにつながったところは確かにあります。闇は深ければ深いほどその光も輝きを増すと思うんですよ。

人間の世界は不公平なようにみえますが、神のご用のために一人ひとりがつくられていると思えば、人間同士がお互いを比べる必要もありません。
人間も、必要のない人はだれもいなくて、神の意志の中ではみんなが必要なのだろうと想像します。それに人間が気がつかずにいがみあっているだけではないでしょうか。健常者だけが障がい者に何かをやってあげているのではなく、障がい者が健常者に役立っていることもあるだろうと思います。

これまでの歩みにおいてマイナスとしか思えないことも、生きて働かれる主が、プラスに変えてくださるという素晴らしい恵みをいただきました。それからは、物事を前向きにとらえ、『ただ神のみ業があらわれるため』に、ひたすら主を信頼して歩み続けたいと願っています。

井村和清氏の「あたりまえ」という詩があります。『そのありがたさを知っているのは、それをなくした人たちだけ。なぜでしょう。あたりまえ。』という言葉で締め括られたその詩にとても共感し、考えさせられます。生かされてある命の本質を問う言葉だと思います。

ノーマライゼ−ションめざして
盲人は不便ではあっても不幸ではない
              
  • 「不便さや不自由さは周りの人の配慮
  • によって軽減できるものですし、障がい
  • が因果や因縁とはまったく無関係のもの
  • であるということを理解してもらうためにも
  • 、世の中の「障害は不幸だ」という目を変
  • えていくためにも、僕は「障がいは不幸な
  • ことではありません」と言うしかない。
  • 小さな声でも、そうやって言い続けていか
  • なければ、間違った福祉理解が進んで
  • いくと思います。」
  • 「健常者が納得できる「落とし所」へもっ
  • ていくというパターン化した報道が多くなる
  • と、障がい者は「しんどい」とは言いづらく
  • なってきます。そこに風穴を開けたいなと
  • 僕は思っています。
  • 「盲人のくせに」と言われても。だから、
  • 僕は決してがんばる障がい者には
  • なろうと思っていません。」

              

言葉の泉
北田康広の写真掲載雑誌より
「だれもが神からひととおりのものを与えられている。それに気がつかないか、生かしきれていないだけ」

「音楽の分野でも、障がいや苦しみを抱えているほうが、音に響きや粘りといったものが生まれることがあります。ツルツルの氷の上は歩けない、ひっかかるものがあるから歩ける、それと同じことです。「ひっかかるもの」が生きる上では精神的にも必要なのではないかと思います。」

恩師のひとこと
「夢をあきらめてはいけない。できないと決めつけてはいけない。それでは必ず後悔する。だれがなんといっても進むべきだ」